小樽四十年誌 付手宮発達記 その十四
2021年11月27日
また港町の遠藤又兵衛氏は小樽一流の海産商で富岡町が開けてからここに邸宅(今の山本厚三氏の邸なり)を築き店は港町をきりあげ今、手宮停車場(てつどうえき)前の渋沢倉庫事務所のところで盛んな店であった。氏はすこぶる厳格なる方であったが、出入りの人夫(にんぷ)は常に店員の指示で店先などの雪除け掃除を為さしむ(させられた)。主人ついにこれを聞き知ってでいり人夫を招き、雪除け掃除をしてくるる(くれる)はありがたけれど、多くいる店員共は用がなくなるから頼むときは賃金を支払う、頼まぬ時は決して来てもろうてはならぬ、とて固くこのことを申し述べた。人夫共(にんぷども)は大いに赤面してその厳格なるに恐縮せしが、常に無賃で人の骨折りを貪(むさぼ)るなどのことはせない(しない)人格者であった。しかるに飼犬に手を噛まれたとかで一大手違いを生じ裁判沙汰となりついに閉店のやむなきに至れりという。その後継者であった渋沢氏に財産を渡して閉居せらる。渋沢氏、その心の潔白と誠実なるに感じ幾万円かの寸志を与えられ今は京都に閑居せらるとの逸話を聞き実に彼我(ひが)の温(ぬく)きを感ずる余りあり。
いま一つ木村円吉氏の逸話(注二)がある。同氏は船問屋にてその先代の時において出帆せる船あり暫(しばら)く経てその船の会計(チク)遊郭に耽(ふけ)って帰る船はまさに出帆せんとするに驚き遽(あわただし)く辛(かろ)うじて乗船したるが祝津沖において難船(なんせん)し船員皆溺死(みなできし)せり。後で、金函の遺物を発見したるも其処置に苦しみそのままとなりこれが木村氏富を為すの原因なりと云う。故(ゆえ)に木村家ほど仏事吊りなど厳重な家柄絶えて見ざるべしとのこと。そのこと少し信じがたけれども聞込みのままを記したるなり。
‐p16~18‐
(注二 この逸話部分意味不明。)
この手水鉢を寄進した
木村圓吉氏が信心深かったのは
事実だったのではないでしょうか
~2018.9.19
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