博物館
2016年05月16日
海運業界が隆盛だったことをものがたる博物館
~海運隆盛の遺産
日露国境会議議場にも~
道々小樽海岸公園線と国鉄手宮線にはさまれた小路にあるせいかあまり目立たず、市民の間でも存在を知らない人が案外多い。
この建て物ができたの明治三十九年十月。当時は鉄道もあまり発達しておらず、荷物、人の輸送はもっぱら航路が中心で、海運界の全盛期でもあった。
後部大学工(現東大工学部)の第一期卒業生の佐立七次郎工学博士と英人技師が設計したもので、総工費は、当時の金で五万九千九百四十一円二十二銭。小路を依頼したのは日本郵船で小樽支店として建てたもの。
建て物はルネッサンス式で、木材は道産ナラ材、外装の軟石は天狗山の砂眼石、そのほか大広間のシャンデリア、金具(ドアの取っ手)と壁紙はイギリス製のものを使用している。また石一枚一枚に刻まれた彫刻が全部手彫りなのも特徴。
明治三十九年十一月に日露戦争の講和条約によって、南樺太が日本の領土となったトキ、その国境画定会議が小樽で開かれたが、その際会議場に指定され、大広間(現在歴史室)で日露両国代表による会議が、終了後に貴賓室(現在水産室)で、乾杯が行なわれたという由緒ある建て物でもある。
その後昭和二十九年日本郵船小樽支店の新築移転により、市が六百五万円でこの建て物を買い受け、現在は博物館として使用しているわけだが、明治年間に建てられた建造物としては、東京以北では随一を誇るものとされている。
このようなりっぱな建て物をただ支店とするだけに建てたのは、商都小樽としては例もなく、当時いかに海運業界が隆盛を極めていたかがうかがえる。
能島正一博物館長は『小樽市博物館は歴史は浅いが、内容の点では全道一を誇っている。この建てもの自体も文化財としてりっぱな価値があります。』と話している。
~小樽の建築 北海タイムス
昭和43年7月24日~8月11日連載より
内部に入るとカウンターがありますが
一部切り取られています
博物館時代に入場口としたためだそうです
『残念!』
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