60年前の人口北海道一だった!(一)~④
2019年01月06日
高名な作家、山口瞳の作品に「小樽、海陽亭の雪」(小説新潮)がある。ところどころぬいてみるー。
「雪の道が長い。小樽は坂の多い町である。北海道の原野の奥中に住んでいる人は、小樽へ来ると、妙に懐かしいような嬉しいような思いをするという。」
「昔、小樽では、札幌の人が来ると田舎者だって言ったそうじゃないですか」
「あんな薄情者ばっかりの町はいやだなぁ」(朝市での会話)
「二階は百畳敷と七十畳敷の大広間である。冬は寒くて、とても使えない。いや、ニシンの獲れていた時は、冬でも連夜の大宴会だったという」。
「豆太郎が進んで自分の年齢を言ったのは、小樽の水の良さを証明したいからだった。彼女は肌の美しさを自慢した。こう見えても、私、六十五歳よ、と言ったのである。本当に小樽の水はうまかった。しかしハッキンカイロを持っている芸者というのは、どうもね」。
大正七年に発行された「北海道百番付」というパンフがあるが、その中の「芸娼酌婦」の部にあるお樽芸者は四百二十七人いて函館、札幌とほぼ同数で横綱・大関を争っている。小樽の現在は札幌の十分の一の十人内外か。ついでに小学校番付では小樽色内が生徒数千五百で小結を張っている。前頭に稲穂女子、堺、花園、手宮が入っているがこれは商業都市化を示している。金満家番付では板谷宮吉がトップで山本厚三、犬上慶五郎、藤山要吉、木村円吉が三役を占めていて、旅館では越後屋が横綱、料亭も開(海)陽亭が札幌いく代と並んで横綱の上の行司、人口番付は小樽区十万六千人で函館十万二千、札幌八万六千を制している。
見直せわが郷土史シリーズ④
小樽市史軟解
奥田二郎
(月刊ラブおたる39号~68号連載)より
昨日やって来たあの船
勝納サイロ横に停泊中
何を運んできたんですか
「トウモロコシと小麦粉を運んできたんだよ。」
『どこから来た船ですか。』
「アメリカだよ。」
何か機械のような荷物も下ろしていました
~2016.3.18~
そば会席 小笠原
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