北海道の地名 (4)小樽市内 忍路
2017年09月05日
忍路 おしょろ
小樽市内の字名、旧郡名。元来は忍路の入江のことである。この解説が多い。
①上原熊二郎地名考は「名義ウシヲロなり。則入江と訳す」と書いた。ウショロ(ush-ro 入江の・中)の意。
②松浦武四郎西蝦夷日誌は「名義ウシヨロにして懐の事也。取って以て湾に名く。先輩懐(ウㇷ゚ショㇿ(upshor ふところ)と解した。
③永田知名解は「オショㇿは湾の義なれども元来臀の義なり。取って以て湾に名く。先輩懐(ウㇷ゚ショㇿ(upshor ふところ)と訳したれども、概ね西海岸アイヌは湾をオショㇿと云ひ、東海岸アイヌは湾をウショㇿと云が如し」。
④知里真志保博士は永田説に反対し、忍路は女陰(upshor)であると、強く主張していた。
諸地方の類名から考えると、例えば噴火湾の有珠はウㇲ(或いはウショㇿ)、函館の旧名はウㇲ・ケㇱ(あるいはウショㇿ・ケㇱ)、また日本海岸寿都には潮路(ウショㇿ)があり、久遠郡と茅沼にはそれぞれ臼別(ウㇲ・ぺッ)がある。また神恵内村には忍路と同じオショロが残っている。どれも湾あるいは入江である。語源的には説もあろうが、現実の地名ではus(ush)あるいはus-or(ush-or)は入江で、osh-orも同じウとオはよく転ずるので、同じことなのであったのではないだろうか。
竜ヶ崎 りゅうがさき
忍路の突出部の北東角の名。永田知名解は「シリ・パ。岬」と書いた。突出部から少し南に下った岩崖に竜のような模様が出ているので、元来はそこが竜ケ岬であろうが、その辺を含めた突出部がシリパであったろうか。
この辺の海岸の岬には、ずらっと大小のシリパが並んでいたのであるが、東の方から見ると、忍路のシリパと余市のシリパが並んで見えているのは壮観である。
この景色かな?
ツコタン
忍路半島の東の根もとから東にかけての海岸の地名。 トゥ・コタ(なくなった・村)の意。昔そこにアイヌの部落があったが廃村になった処。ツコタンまたはトコタンで残っている地名は廃村(tu-kotan)、二つの村(同)、沼村(to-kotan)等から来たもので、区別が難しい。
ここ?
わしり
ツコタンの海岸の東端に山の根が生みに突き出した処で、それを回った先がポン・ツコタンである。土地のそうらん節で「忍路、ツコタン、わしりの鼻で、可愛い花子(狐のこと)が手を招く」と歌われた。いまは国道がその先を通っているが、昔はそこが海で、波の間を岩を伝わって通ったという。北海道の早く開けた地方には「わしり」、「走り」の地名が多く、皆同じ地形である。
アイヌ語のウェイシリ(断崖)から来たとも、あるいは波間を走り抜ける処だという意味の日本地名だともいう。
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桃岩の手前?
そば会席 小笠原
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