私の手が語る~序にかえて
2016年06月18日
手のひらの大きさや指の形をくらべて、右と左がこんなにちがう手も珍しいだろう。満足な機械もなかった頃から、自動車の修理にはじまり、いろんなものをつくってはこわし、こわしてはつくってきた私の手である。
右手は仕事をする手で、左手はそれを支える受け手である。だから、左手はいつもやられる。爪なんか何度もぶち割って、そのたびに抜け替わったことか。よくもまた生えてきてくれたものである。
指の先なども、ずいぶん削りとった。右と左の人差し指や親指の長さは、いつでも一センチはちがう。左手のほうが削りとられて短くなっている。少しばかり指をつめたかたちになっている。左手はほんとうによく支えてくれた。私はまた、人一倍ケガに強いのかもしれない。手足ぐらいなら、どんな傷ができても医者に手当てしてもらったことがないのだ。チュッチュと傷口から雑菌を吸い出しておいて、終りである。それで傷みもしないし、化膿もしなかった。
いつかは、バイト(旋盤、平削盤、形削盤などに用いられる単刃の工具。棒状の柄の先端に刃を付けたものが多い。オランダの技師煤テルが日本に伝えたので、この名がある)の先が手のひらから手の甲へつきぬけたことがある。ふつうなら、大騒ぎになるところだろうが、私は近くにいた者に、
「おい、オキシフル出せ」
といってそのままにしておき、バイトを万力にはさんでじわじわと引き抜きながら、オキシフルの液を傷口に注いだ。さいわい、骨と骨の間を貫通していたようなので、そのまま包帯を巻き、やりかけの仕事をすませたあと、夜には一杯やりにいったものである。もちろん、翌日もふつうに仕事をしたが、なんともなく、じきに癒った。
これはほんの一例である。私の手はそんな私がやってきたことのすべてを知っており、また語ってもくれる。私が話すことは、私の手が語ることなのだ。そう思うとき、私はしみじみ、体験というもののありがたさ、強さを感じる。
また、私にはこの手より何より大切な存在がある。二人三脚の経営者として、苦楽をともにしてきたホンダの元副社長・藤沢武夫である。藤沢がいなければ、いまの私はない。骨張った自分の手を見るたびに、そういうことがおもわれる。
ここにおとどけするささやかな随想集は、ほとんど私の体験から生まれた話題ばかりだといってよい。表題にとった『私の手が語る』というのは、まんざら飛躍した題名でもないのではなかろうか。
一つ一つの章はなるべく短く、おいそがしい読者各位が目を通してくださるうえで、負担にならぬよう心がけた。
そのため、いいたいことの意を尽くすことができず、舌足らずになったところも少なくないかと思う。その所はみなさまに、いわゆる、〝行間を読んでいただく″友情或る読書法をお願いする次第である。
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