流芳後世 おたる 海陽亭 (五)
2016年01月09日
「2階間仕切り」
建設当初、大広間は4つの部屋に仕切られていた。
床の間のある部屋から4間、4間、4間、更に2間半と仕切られていた。
4つの部屋は、互いに襖により仕切られ、必要に応じ続けて使うことができた。
間仕切りは、梁間の4間幅全部を襖で仕切り、鴨居から上に欄間が設けられていた。
日露戦争国境劃定会議の宴会の写真によると、欄間は特別なものではない。鴨居沿って横長の開口で四隅を45度に切り詰めてある、極めて単純な形であった。
今は、この欄間も鴨居も、そして敷居も残っていない。
柱には、当時の鴨居の跡に、埋木が施されてある。
大広間の回りを三方から取り巻く回廊があり、回廊と大広間の境の欄間には、疎組子の明かり障子が嵌め込まれ、今も残っている。
回廊の外側には、松材でできた高欄がある。
この高欄の更に外に、美濃判のガラスが嵌め込まれた建具が建っている。夏の一時、このガラス戸を外し、小樽湾から吹き寄せる風に、涼を求めている写真が残っている。
大広間が建ったと思われる1896年(明治29年)には板ガラスは国内製造されていない。今、残っているガラスは歪みが相当ひどくフロート方式の製造と思われず、建築当時の輸入品である可能性が高い。
欄間の回りの壁は、土塗り壁である。この土塗り壁は、陸梁の下の敷桁まで延びていて、敷桁と土壁とは同一施工されている。
従ってこの土塗り壁から上の小屋組みの構造体は、建築当時のままと考えられる。
それ故に小屋組は、建設当時からキングポストであったと推察されるのである。
ベルギー製の板ガラス
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