鰊漁と祝津の三代大網元
2016年03月20日
日本海沿岸は、にしん漁で栄えた時期がありました。昭和30年ごろまでは、春になると鰊の大群が産卵のため沿岸に押し寄せ、海が真っ白に濁ったといいます。この様子を群来といいました。この鰊を求めて本州から大勢の「やん衆」と呼ばれる出稼ぎ漁夫が集まり、浜は活気に満ちあふれました。
漁場を経営する網元の中でも、富を築いた青山家、茨木家、白鳥家が、祝津の「御三家」と呼ばれ、漁のほかにも地域の学校の建設に資金を提供するなど、まちづくりにも貢献しました。
祝津地区には、旧青山別邸(指定番号 第3号)や旧白鳥家番屋(第62号)をはじめ、旧漁家の番屋や倉庫など当時の網元が建てた建物が今なお残っているほか、北海道開拓の村(札幌市厚別区)には、旧青山家漁家住宅が移築されており、往時を偲ぶことができます。
やん衆→若い衆
網元 →鰊場の親方または大宅
ではないでしょうか?
そば会席 小笠原
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