小樽運河④繋船(けいせん)

2016年10月02日

IMG_2673えと文 藤森 茂男

 小樽運河には、さまざまな種類の船が出入りしていた。

 艀(はしけ)は木製と鋼鉄製があり、時代によってスタイルも少しずつ変化があった。船首に煙突のつき出し小部屋があり、シケの夜などは艀船頭や艀人夫が泊まりこみで見張った。

 ポンポン蒸気(焼き玉エンジン)から戦後はディーゼルに替わった引き船やサールベージ船(潜水工事)。沖どまりの本船との連絡や物資運搬の各種業者の通船。港湾、開発、一管(海上保安)などお役所のモーターボート、それにシケをさけた各種沿岸まわりの漁船などが運河をにぎわせていた。

 港湾荷役の近代化により、運河と艀の時代に終えんが訪れる昭和四十年(一九六五年)代に入ると、艀の数はめっきりと少なくなる。解体、焼却されていった。

 運河には老朽した船体が横たわり、沈泥汚濁もひどくなっていった。運河に流れこむ何本もの河川の生活汚水が拍車をかけた。

 行政側は長い間、運河を汚れるにまかせていた。当時の市長は「運河は小樽港のガンだ。運河を埋めてしまって、道路をつくることが小樽百年の大計だ」と言い切った、

 

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