西海岸にしん漁場の食、自然、漁業 その3
2015年10月07日
(2)他地方とのかかわり
このような発展の経緯をもつ西海岸にしん場の交通は、かなり最近まで海の道によって行なわれている。それは焼尻島のような離島に限らず、陸続きの漁村についてもいえることであるが、近世から明治中期ごろまでの物資の輸送や漁夫の入りこみは、川崎船や弁財船と呼ばれる大型の木造船によって行なわれており、徐々に汽船に変って行く。しかもそれらの船の出発の拠点となったのは、近世までは江差地方であり明治以降は小樽である。もちろん東北や北陸からの船も多いが、これらの船も北海道へ入ると同様の経路を経ることになる。しかもその連絡は拠点となった場所と漁村間であり、各漁村間の連絡はきわめて少ないという傾向を示している。
たとえば焼尻島の場合、小樽や道南地方あるいは秋田など本州の港とは古くから結ばれているが 、羽幌や苫前など対岸の漁村とは、昭和初期になり羽幌線が開通するまでほとんど交流がなかったという実情である。したがって古くは主食の米はもとより野菜類、日用品にいたるまで商品として小樽から運ばれていたということも、食生活に大きく影響しているといえよう。
かつてニシンが押し寄せてきた日本海
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