常春園
2020年05月22日
小樽で一番広い町、幸町は、現在の第二病院あたりから、苗圃をのぞいて、三ッ目橋観音から奥、現幸町までを常春園とよんでいました。
大正四年から十年頃の常春園は、その名の通り、春はもちろん四季折々の花があり、春一番に、ねこ柳からこぶしの花に始まり、雪解けと共に、片栗の花、万作の花と一面に咲き、桜、梅、林檎、李と続き、夏に入ると池には、あやめ、蓮の花が咲き、馬車で花見の客も多かったという。
常春園の所有者は、寺田省帰という人で、北電の前身である電力会社の社長をしており、榎本武揚農場から、この土地を譲り受け約百町歩の広さがある、寺田農場を開いた。農場の小作人として、管理人に、原田さん、番兵小屋に荒岩さん、仕事の管理、小作人の連絡に水倉さん、池の鯉の養殖に川島さんがおり、二木さん、藤島さん、高柳さん、江南さんと住いしておりました。
当時の道は、三ッ目橋観音から、トヨペット社宅、環状線~水戸部砂置場止まりで、長尾氏宅(現幸町会長)まえから、土手を左へ回って中田税理士さんの所で行き止まりでした。
常春園の中を歩いてみます。三ッ目橋観音堂の両わきに、しだれ柳が五、六本ありその中の太い門柱に、「常春園」の看板がありました。
当時の子ども達にとって最高の遊び場で、柳の木から、柳の木へと飛びうつり、木登りの楽しい場所であったという。
右側には、苗圃と続き山で、大きい落葉松の森林に囲まれ、管理小屋前に大きなとど松があり庭園用芝を敷きつめ、山際には狐おとしをおいてあった。
左側は、すももの並木、その下に、サクランボが一列、その外側には、りんご畑が、現在の荒岩さん前まで続きます。
鯉の養殖は、管理小屋前で、大小十ヶ所の池があり小さな池では小鯉を育てていた。池のまわりは藤が植えてあり、、池の前の築山は、二本松が林のようになっていた。
子ども達の遊び場として、会沢建築裏手、三丁目公園あたりは沢になっており、ザリガニ取りやフナ釣りをして楽しみ、毎日がどろんこで遊んでいた。
右手はぶどうを作っており、当時としては珍しい品種で「デラウエア」を栽培していたが、防虫知識も浅く、長続きしなかったようです。
りんご園は、……。
常春園 当時の見取図
『常春園の先にオタモイがあったんだ。』
越後屋さんの奥さんは若かりし頃、熊碓でニシン漁の手伝いをした後、たくさんお土産のニシンを頂いたそうです。しかし、バスに乗るわけにいかず、歩いて塩谷まで帰ったとのこと。常春園左の道、長橋中学校から左へ曲がる道です。家は数件しか建っていなかったそうです。
『私がいまだ歩いたことのない長距離です。』
「だから今でも足腰が丈夫なんですよ。」
~2015.10.23
そば会席 小笠原
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