小樽郊外オタモイ オタモイ地蔵尊
2015年12月04日
本尊 地蔵尊像 石仏
由緒 「オタモイ」はオタは砂、モイは浜或いは湾のアイヌ語にして、砂浜或いは砂の入り江の意なり。弘化四年(今より九十二年前)四月二十四日の朝、昨日来の大時化の静まりたる当オタモイの浜に一人の容貌美しい年の頃十七八才の女の死体打ち揚げられたり、妊娠して既に八、九ヶ月と思しく、乳は脹りて少しばかり乳汁の流れ出でたり、一同之を憐れみて現御堂のヶ所より少し下手の小高き所に篤く葬むと恰も四月二十四日は地蔵尊の命日に当れるも何かの因縁ならん。元禄四年松前藩は西部神威岬以北へ婦女の通行を禁じ、以来女人の影以北の地に見る能はずなりぬ、彼の有名なる松前追分の哀調の流布せらるる亦宣なりと云うべし。此の溺死美女は越中高岡在の医の娘にして、郷土に相愛せし青年が忍路漁場にあるを慕いて、女人禁制の故を以て密航を企てたるが、隅々神威岬に差懸るや天候遽に変り大時化となり、二十四人の乗れる弁財船は木の葉の如く、今や運命谷まれる時、禁制を破りし身の恐ろしく、且つ自らの身を捧げ以て他衆を救わんと唱名を称えつつ波濤の間に身を投じたり。
翌年嘉永元年漁場支配人西川徳兵衛は此の話を聞き、惻隠の情禁ず能はず国元江州に於て三尺余の花崗岩の地蔵尊を造らしめ、同女人供養の為めオタモイの地に安置せり、これ即ちオタモイ地蔵尊の由来なり。
明治二十四年の頃金沢イワ女なるもの夢見により、この地蔵尊に詣でて乳の出初めたることありて以来、誰云うとなく乳授けの地蔵尊、子宝の地蔵尊と称へ、其後幾多の霊験顕なること伝え聞く信者の日に多くして、遂には道内は申すも更なり、広く世人に喧伝せられ、近年建設せられたる蛇の目遊園地と相俟って賽者多きは実に日に数千を以て数ふに至れり。
毎月例日 毎月二十四日
堂宇 堂宇の位置は初め海岸の近くより順次後退して三度(昭和三年五月)現在の地に地主村上市三郎の建立すると ころなり。
管理者
交通 小樽駅より約一里余、バスに寄り入口迄約二十五分(十五銭)それより徒歩数丁。
現在のオタモイ地蔵堂
《伊賀所蔵、「大日本寺院大観北海道樺太版」より》
前掲のような、生立ちの中で、いん賑を極めたが、事情により、昭和五十二年バスの乗入れが中止、道路、諸施設は荒れるがまま、小型自動車も、通行出来なくなり、地区の方々の奉仕で、補修に勤めてが、及ばず時の所有者上島コーヒーにも、数度接渉をこころみたが、応じてもらえず、仕方なく、次掲の如く市議会に陳情、間もなく採択。
そば会席 小笠原
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