紅葉橋~健在、八景のいぶし銀
2018年07月25日
市民に愛され親しまれた昭和初期の小樽名物・紅葉橋
華麗と優美を誇った紅葉橋もいまは荒れるがまま。老残の身に車の往来もきついに違いない。
橋の横にある旧佐野喜造貸家(昭和8年(1933)築)
公会堂の坂道を下りてくると、紅葉橋がある。いまは欄干も薄黒く汚れ、見返る人も少ないが、かつては小樽八景のひとつに数えられた名橋である。
大正時代は、ゆるいカーブを描いた木造の太鼓橋で、当時の小樽郡と高島郡との郡境でもあった。
それが昭和初期、写真のコンクリート橋に建て替えられた。四方に高欄を配したモダンな造りで、妙見川の流れを下に、背景の小樽公園の秋の紅葉-。
いまは、その景観も様変わりしたが、当時「竜徳寺の晩鐘」「天狗山の暮雪」「港内帰帆」と並んで「紅葉橋の袖(そで)時雨」が八景に選ばれたのも当然のことだろう。
ところで、この小樽八景。実は明治九年八月、小樽を訪れた三条実美・太政大臣が選んだのが最初だそうだ。とすれば話がいささかおかしくなる。大正時代に誕生した橋が、八景に選ばれるはずがないからだ。
記録をさぐると、どうやら小樽八景、時の権力者や有名人が小樽に来た時、自薦他薦で選んだものらしく、時代の移り変わりとともに、さまざまな地名が登場。ついには観光業者が選んだと思われるものも出現する。
それはともかく、建設当時の紅葉橋が、小樽の名橋であったのは間違いない。中でも橋の高欄で輝く街灯は、当時の夜の小樽公園の名物でもあった。
もともと小樽の発電の歴史は古く、明治二十七年、民間の小樽電灯舎が創立され、翌年一月から石炭火力の百馬力発電機二台で、六十㌔・㍗を発電。三百戸五百三十五灯に配電した。
ところが、当時の電球は炭素線を使ったもので切れやすく、しかも暗かったので評判はあまりよくなかったらしい。明るいガス灯が出たとたん、市民は「これこそ“文明の灯”だ」と飛びついた。
このガス灯、大正の人には思い出深い例のマントルのガス灯で、東京に本社を置く北海道ガス会社(現北ガス)が、大正元年から小樽でガス灯を営業主体に“給電”開始。市民は大いにその恩恵を受けたとある。
だが、このガス灯も、やがてタングステン電球の登場で衰退の運命をたどり、燃料用ガスの供給へと営業転換を迫られることになる。
時は流れ、紅葉橋の運命も変えた。
昭和三十七年の集中豪雨で橋脚が崩れ大改修された時、名橋の原形は残されたものの、いま高欄の上の街灯は壊れたまま。
街灯にかわって、道筋の近代的な水銀灯が、新旧交代の時を告げるように、周囲を明るく照らしている。紅葉橋は汚れ傷つきながら、いまだに健在である。
~おたる今昔 読売新聞社編
昭和55年9月17日~10月21日連載より
小樽市史軟解 第1巻 岩坂桂二
月刊ラブおたる 平成元年5月号~3年10月号連載より
『一番上の写真と同じ橋?こちらの方がゆるいカーブを描いた太鼓橋のように見えるけど。わかりました。こちらの橋が大正時代の橋でした。昭和初期に建て替えられた橋は今だ健在なんですね。』
~2015.9.28~
そば会席 小笠原
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