「え、なんで。」というけむりの話 5

2016年12月07日

 小樽住吉神社境内には、多くの人から献じられた灯ろう(灯籠)が参道に並んでいる。

 その中に、煙草の製造元からの珍しい灯ろうがある。明治32年、 山櫻莨(たばこ)製造元とあり、石質が良いので90年過ぎた今も文字は鮮明である。

 この場所は、国道から神社の参道を登ると最初の石段の右側(二つのうちの下の方)にある。

 タバコは嗜好品になる前、はじめは敬神の供物であったことを思えば、神社の参道にあることはわかるが、何故この山櫻というタバコだけがあるのだろうか。

 「敷島の大和心を人間はば朝日ににほう山櫻花」という本居宣長の歌があるが、この中からタバコの名が付けられたものが四つある。

 敷島、大和、朝日は明治38年につくられている。山櫻は38年につくられている。献灯の山櫻は明治32年であるから、それ以前にあった同名のタバコということになる。

 当時、民営だった頃に小樽のタバコ販売業は盛況をきわめたらしく、そのお礼をこめて製造元の大阪からの献灯と思われる。

 日清戦争(明治27年)によって大きな戦費を支出した当時の国財政の窮迫は深刻なものだった。断財政の一つとして葉タバコの専売法が実施されたのは明治31年である。(タバコに税が課せられたのは明治8年)

 そして日露戦争(明治37年)前に、民間業者の反対を押切って、同37年には煙草専売法を実施。専売局は大蔵省の外局としてスタートし、製造面でも政府が直営による完全販売となった。

 それまで民営品として売行きが良かったタバコに、菊世界、日の出、常盤などもあった。

 民営時代、専売時代を通して売出されたタバコの品名は数多くあるが、その中で一番の長生きは明治37年から意匠も名称も変えないで通してきた朝日である。

 その朝日に次ぐタバコ界の長老はゴールデンバットで生まれは明治39年である。このタバコは、日中戦争(昭和12年)にかかると意匠も昔なつかしいコウモリから金のトビになり、名前も金鵄に改称、終戦後は更にきんしとなり配給タバコとして残ったのである。

 昭和の初めは、カフェー、バーの華やかなネオン時代となり、その風潮に刺激され女性の喫煙も盛んになった。これに着眼した専売局は女性用タバコとして昭和7年に、ウララという五色の細巻きタバコを販売した。すると「女性に政府自ら喫煙を奨励するとは何事か」とクレームがついたり、婦人たちからも「なんですか。オモチャを作ってバカにして」と嫌われ間もなく姿を消したというが、その意匠は美術的であったという人もいる。

 終戦後のタバコは販売面で、配給品と自由販売に区別された。戦後まで生き残ったタバコは、朝日、光、きんし、みのり、のぞみの5種類であった。自由品としては昭和21年にコロナとピースが登場した。

 終戦当時のタバコの配給は1ヵ月90本であり1日に平均すると3本であった。とても足りなくてイタドリの葉を陰干しにして刻み、コンサイスの辞書の紙で巻いた手製のタバコを吸ったものである。その手巻器も売出されたことを知っている市民も多いであろう。

 その場で当る三角くじ(三角形の宝くじ)のタバコのコロナがあり、当時学生だった私は、札幌の狸小路でよくこのコロナを当てた思い出がある。このタバコは昭和22年に廃止されたが、同年に出たのが新生というタバコで、そして翌年には自由品として、憩、ハッピー、ききょう(キザミ)が生まれた。またパイプタバコでは、桃山というきれいな缶入りが店頭を飾った。

 長い歴史を歩んできたタバコ専売公社も昭和60年4月から、電話がNТТになると同時期に民営となり、その名も日本たばこ産業株式会社となった。

 むかし「向こう横丁の煙草屋の可愛い看板娘…」という流行歌があったが、今はデパートか新しいタバコのキャンペンガール以外に娘さんは見られない。店頭のおじいちゃん、おばあちゃんからタバコを買うのもいいものだが、この頃はタバコの横文字も多くなり「右から何番目のあれ下さい。」「これですか」「いやその隣り」という買い方や自動販売機買いが多くなってきた。

 日暮れどき、山櫻というタバコの献灯を眺めながらの回想である。

 「ゆ~らゆ~ら煙草のけむり、みつめて愛にゆれながら…」この歌詞のある増位山の歌を今夜はカラオケで歌おうかな。 すると横から言われそうだ「え、なんで。」

IMG_0874A 住吉神社境内にあるタバコ製造元からの献灯で、今も明治時代の風格は失っていない。

IMG_0875B 昭和12年小樽で開催された北海道博覧会公園会場内に設けられた専売館(タバコ製造実演と資料展)

IMG_0876C 内の売店と休憩所。販売のタバコは実演製造のゴールデンバットの他に、ホープ、チェリー、光錦であった。

~NEW HISTORY PLAZA ⑤

小樽市史軟解 第1巻

岩坂 桂二

月刊ラブ小樽 平成元年5月号~3年10月号より

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