日本郵船小史8~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで(大正5年ー昭和17年)

2016年12月26日

大正初期より昭和にかけ奥地向鉄道の発達により農業開発が大いに進んだ。又沿岸ぞい鉄道の発達により当社の沿岸航路は漸次廃止され、本州・樺太・千島の航路が充実し、本道とこれらとの間に海産物、農産物、日用雑貨を直接輸出する道が開かれた。

(1)大正初期の経営航路

 大正5年(1916年)1月現在の当社の本道関係経営航路は次の通りで、明治43年(1910年)に本州・北海道往来旅客唯一の交通機関であつた青森・函館・室蘭定期航路(明治12年10月三菱会社が開設して以来当社が引継ぎ経営)廃止後は大正3年(1914年)に北日本汽船が当社より玄海丸、大阪商船より隅田丸を譲り受け鉄道省が青函貨車航送を実施した大正14年(1925年)8月1日まで経営した。

又、大正4年(1915年)4月当社は室蘭、青森直航線を北日本汽船に譲渡した。 

○大正5年1月当社北海道経営航路

 函館・樺太線(冬季欠航)毎月6回

 小樽・樺太線(冬 季 )毎月3回

 函館・択捉線(冬季根室止まり)毎月3回

 函館・網走線(夏 季 )毎月2回

 函館・千島線(冬季欠航)毎月4回

 神戸・小樽東廻     毎月13回

 小樽・稚内線      毎月5回

 大泊・稚内線(夏 季 )毎月2回