明治・大正の小樽をみる(その3)~文化的な土壌 84
2015年06月15日
A 花園町側からみた水天宮神社
この頁の写真Aは、水天宮神社の丘を花園町側から写したものである(右上が神社)。この神社については以前このHISTORY・PLAZAで記述したことがあるが、19世紀の安政年間に水天宮を祀ることによってこの称が与えられたもので、小樽にとっては歴史ある神社である。
この下にある花園橋の渡橋式が行われたのは1923年(大正12年)であるが、この年には神社は村社に昇格している。
この写真をみると丘の周りには、住宅が全くなく、本当に緑に囲まれた丘であり現在と比較してみると隔世の感がある。
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B 自然に囲まれた龍徳寺の境内
緑豊かな場所として、もう一ヶ所龍徳寺の境内を写真Bで紹介したい。龍徳寺は曹洞宗雲海山の寺号で、1859年(安政6年)に創建された小樽では歴史を有する寺院である。
函館高龍寺の住職が1858年(安政5年)に出願・許可をうけて 信香の裡町の地に、翌年本堂を建立したといわれている。のちに若松町(明治2年)、更に現在地に移ったものである。
この寺院の境内は「小樽八景」の一つになった立派な広場があり、いまでもその面影が残っている。
「小樽八景」は、この龍徳寺の晩鐘のほか、祝津の夜雨、色内の春嵐、住吉の秋月、浜中の夕照、朝里の落雁、石狩の帰帆、増毛の落雪というユニークな名をつけた八ヵ所である。
木の葉地形は、1876年(明治9年)、時の太政大臣三条実美の一行が北海道巡視の勅命を受けて小樽に来た折に、三条の手によって、「小樽八景」が選ばれたもので、後に多くの歌人が献歌をしている。
現在、都市空間の観点からみても見事な選定だったと思われる。
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C 大正時代の服装を見る
写真Cは、大正時時代の風俗をみる上で紹介するものであるが、この服装は明治時代から続いているもので、着こなしもそれぞれきまっている。
D 稲穂町大通りの一角
写真Dは、大正時代の稲穂町大通りの一角である。車の姿はなく、自転車が大通りの中央を走っている。いまとは別な豊かさとおおらかさを感じるのは私一人だろうか。
紹介した4枚の写真を通して明治・大正の文化的土壌を再確認したいと思う昨今である。
~小樽市史軟解 4
岩坂桂二
ラブおたる より
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