ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 小樽内場所⑤ 

2017年01月21日

板谷 宮吉 小樽区

 稚内には、小樽財界の大物が鰊場に進出していた。板谷宮吉(一八五七~一九二四)もその一人である。板谷宮吉は新潟県に生れ、明治三年一四才で松前に渡り、明治八年小樽に移って海産商に勤めた。明治一五年に米穀・雑貨商として独立し、明治二六年自家商品輸送のため小型汽船を購入したのが海運業にのりだすきっかけとなり、北海道沿岸の定期航路を開設した。明治三二年長兄常太と板谷合名を設立したが、日清・日露戦役中は持船は政府傭船となり、それを契機に海運事業は急速に拡大し、明治四四年には日本~ハワイ間に定期航路を開設している。翌年合名会社を板谷商船(株)に改組し、海運王と呼ばれる全盛期を招来した。豊かな財力を背景に小樽の政財界に大きな影響力をもっていた。

 又当時の樺太長官の要請により樺太銀行を設立しその頭取となった。昭和六年当時稚内で鰊建網四ヶ統を経営していた。その他板谷直吉名の四ヶ統があった。

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IMG_2658旧板谷邸