高商の誘致に凱歌
2015年11月26日
漫画は小樽高商誘致に努力した金子元三郎氏
○…山本厚三さんも養子であつたが、山本さんの先輩道政界の元老金子元三郎さんも養嗣子であつた、東京に遊学中頭山満や金玉均たちと親交を結んで政界知名の人との交際があつたせいか帰樽後も政治方面に立派なうごきを示していた。明治二十四年“北門新報”を発行したことはすでに書いたが、同年の五月津田三蔵の大津事件がおきて国際問題として官民をおどろかしたことがある、その当時の日本として大國ロシア皇太子殿下二刃を向けた國民がいたということはロシアの感情を傷つけ之を口実に列國の干渉を受けるのではないかとおそれた、明治天皇は御名代北白川宮殿下を御差遣になつて負傷した露國皇太子を御慰問なされ、御自分もただちに行幸されて数日間を日夜御見舞された程の重大事件であつたので、北海道でも「凶徒の犯行はまことに相済まぬ」という國民陳謝の意をロシアにつたえるため、小樽からは金子元三郎、札幌の対馬嘉三郎、松前の佐藤信?の三有力者が道民を代表してロシアの皇帝に書状を奉呈することになつた、ところがロシアの“魯”の字は魯鈍の魯の字で字義上面白くないという大阪の役のチヤランケを思い出し“露”の字をつかつて提出した。、後世ロシアの“ロ”に露の字をつかうようになつたのは金子さんたちの検討の結果であつたことは隠れた天下の史実であるという
○…明治三十二年小樽に区政が布かれたとき金子さんは初代の区長となり、区政の素礎を築くため区役所の課長は大学出の新進気鋭を集めて來た。という、金子さんは三回國会議員として小樽から選出されたが、その第一回目の代議士のときである、明治四十年政府は第五高等商業学校設立の予算を二十四議会に提出した、その時高商誘致運動を起こしたのは函館、青森、小樽の三都市であつた、中央の形成は函館に有利に展開したこの機先を制するために金子さんの活躍が始まつた、先ず縁戚に当る時の道廰第二部長(いまの学務部長)湯原元一氏を動かして商都小樽の地位を文部当局に徹底させる一方道議篠田治七さんと区長椿華一郎さんを急拠東京に招いて創立費二十万円と敷地の寄付を一刻も早く区会で決定して高商誘致に対する小樽の熱意を示すよう密談数刻、臨時小樽区会招集の手配を東京から打電した、その時の区会は区長の帰樽を待ち構えて午後の八時から開会されたという
○…そこで東京での打合せを公表して二十万円区費捻出の追加予算が議せられ敷地は高橋直治さん所有の土地を寄付することに決定したのが夜の十二時であつたという、迅速な運動が功を奏して遂に高商奪取の目的を達し小樽高商の創立となつたのである、いまは昇格して商大となり短期夜間大学の併置まで話が進んでいるが、高商設立の裏面にはこんな秘密の事情と先人の苦労があつた、色内町に海陸物産の廣大な店舗を持ち富岡町奥にあつた白亜の廣荘な邸宅も戦後菅原組の手に移り浮世の風は轉変の曲を奏すると雖も金子元三郎さんの小樽における功績は永遠に記憶されるであろう
~おらが町内人記 北海タイムス社
そば会席 小笠原
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