小樽区高等女学校[現在の西陵中学校]

2015年09月12日

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↑平成3年の西陵中学校   ↑大正10年頃の小樽区高等女学校

 

おたる 歴史への誘い

月刊ラブ おたる 平成2年4月号~4年12月号連載より

 小樽区高等女学校は大正9年二認可を得、大正10年に授業を開始。昭和22年5月に旭ヶ丘中学校となり、その後昭和32年、富岡中学校と合併、西陵中学校となった。

 大正11年、本科第一学年入学志願者224名のうち無試験者84名、受験者140名の入学試験を施行、大正12年には市制と共に小樽区高等女学校を小樽市高等女学校と改名。同年、授業料を1カ月4円、小樽市外の入学者は5円と定めた。当時校庭には泰安殿があり、天皇、皇后陛下の写真が祭られていた。昭和17年出火の為、増改築中の校舎を除き全校舎1,180坪を焼失。昭和18年まで現在の商業高校を借りて授業を続行した。当時の教育大綱の一部を紹介すると「典型的日本婦人として良妻賢母たる資格を有する婦人足らしめんとする」とあるがアメリカナイズされてゆく日本の傾向に比較しておくゆかしい当時を想像させる。そんな環境の中にあってどんなはいからさんが通ったのであろうか・・・・・想像してみると面白い。