郵船と日銀
2016年09月02日
月刊おたる 昭和39年7月創刊~51年12月号より
日本が世界文明国の仲間入りをした明治時代の洋風建築物を中心に貴重な文化的遺産を集めた明治村が愛知県犬山市に開村したのが昨年三月だった。スポンサーは名鉄で初代村長徳川夢声が山高帽に紋付姿でテープに鋏を入れた写真が当時の新聞を賑わした。
ここに全国から選んで集められた建物は聖ヨハネ教会堂、(重要文化財)乃木大将が院長時代の学習院院長官舎、西郷従道邸(重要文化財)「しがらみ草紙」「坊ちゃん」などが生まれた文豪森鴎外と夏目漱石が住んだ旧邸品川灯台、六連隊兵舎四高階段教室東山梨郡役所などそれに北海道からは札幌大通りに在った旧札幌電話交換局が加えられ最盛期明治日本の香り格調の高いものばかりである。
開村式には鉄道唱歌のジンタが鳴り矢栟袴の女学生や鹿鳴館風の洋装夫人、絣の着物にほう歯下駄の書生も姿を見せ、シンコ細工、ベッコウ飴、綿菓子などの屋台が並び会食も柳行李の日ノ丸弁当という念の入れようであったという。
ところで小樽で明治時代の洋風建築の両横綱は郵船と日銀である。
旧郵船会社支社は現在小樽市立博物館になっている。郵船会社支店は明治十八年の開設だが三十七年の大火で焼失し、我国建築界の先覚者佐立七次郎工学士(後に工学博士)と英人顧問技師の設計により三十八年起工翌年竣工したものである。様式はゴシック建築であり中欧都市にみる建築の気品と古格をよく保っており部材の選択工法の周到さは高度に発達した現代建築手法と比べて決して遜色はない。本館二階総坪数二百九十二坪は小樽産砂眼石の組積式で屋根はマンサード式天然ストレート鱗茸、その手堅い施工により六十年余りを経た今日でも些かの狂いもない。
二階貴賓室と大広間の壁紙は英国より取寄せたもの、ドアの金具大シャンデリアなどもすべて英国製で化粧材も欅を仕上げたものが多い。ファイヤーブレイスの暖炉大理石積は当時としては超デラックスだったと思う。
この建物は日露戦役の結果ポーツマス条約により北緯五十度以南の樺太が日本領となることに決まり新郵船が両国委員による会議場に予定されていたので急いで仕上げられた。同十一月十三日歴史的国境画定会議が行われた史蹟ともなった訳である。
この由緒ある建物は昭和三十一年郵船支店の移転の際小樽市が譲り受け博物館として現在に至っているが建物自体が博物館的存在である。
郵船と並び称されるのが第一火防線通りの日本銀行支店のたてもの。設計は佐立技師と同じ頃の工学博士辰野金吾氏(仏文学者辰野隆博士の父)により明治四十二年起工同四十五年竣工、総工費四十万円で当時東京以北随一の豪華を誇った。辰野博士は日本銀行営繕と特別の関係があったと見えて日銀東京支店や京都支店も博士の設計であった。
小樽支店の様式はルネッサンス式で総坪数二百七十一坪、主要材料は備中北木島産花崗岩と美濃赤阪大理石本道大沼硬石と登別及び札幌軟石等であった。屋上に突出た大小ドーム型塔屋の深く凹んだ飾り窓など頗るエキゾチックで朝霧の中に薄黒く聳え立つ姿は道行く人をしてロンドンムードを思わせる。
一昨年東京民芸協会(会長松方三郎氏)会員がオタル訪問の際僕は小樽に残っている明治時代の建物を案内して大いに喜ばれたが郵船と日銀には特に興味をひいたようであった。地元の小樽の人々も認識を新たにしてほしいものである。若し将来小樽に無粋な為政者が現れてこれらの建物をこわすようなことがあったらその時は犬山市の明治村に相談されるほうがよろしかろう。きっと相当な金額で買収してくれるに相違ない。
そば会席 小笠原
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