仲仕の話~気どらない小樽ッ子

2015年03月05日

八 気どらない小樽ッ子

 小樽ッ子は気どったことが大きらいです。私は月に二、三度、外出する機会がありますが、そんな時には決まって行きつけの店に立ち寄ることにしています。

 のれんをくぐると、頭のハゲた主人は威勢よく「いらっしゃい」と声をかけます。そして次には「お元気ですか」と聞くのです。店内のお客さんはみな一斉に私の方を見ますが、これがまた、いわゆる常連で顔なじみなのです。隣に座っている漁師風の人が「マア、一杯のめや、ハアー」と銚子を持って催促します。「ハアー」という語尾がいかにも浜特有の親しみやすさを感じさせるのです。

 小樽には、漁師もいれば芸術家も大学教授もいます。あらゆる階層の人たちがいますが、みな小樽をこよなく愛し、隣人に親しみを感じているのです。先ほどの親切心を拒否でもしようものなら、それは小樽人ではなく、気どり屋のよそ者なのです。義理や人情などと書くと、前近代的な表現になってしまうかもしれませんが、それらが染みついているのが小樽ッ子なのです。

 ところで、小樽っ子のこのような感情は、いったい、どのようにして形成されたのでしょうか。

 思うに、昔、小樽には「仲仕」が多くいましたが、彼らは怪我や死というものを常に感じていました。怪我をした者がいたら、みんなですぐ介抱しますし、事故死をした者がいたらみんなで戸板に乗せ、涙を流します。危険と隣り合わせにいる人間は、他人の苦しさが我が身のようにわかるのです。また、彼らの家庭はみな貧しく、その日、その日をしのぐのにやっとでした。明日、たく米もないので隣へ行って一升借りてくる、という生活でした。弁当を持って来ない仲仕がいると、みな弁当のフタに半分分けて助け合ったということです。

 このように、他人の不幸を我身に感じ、他人の苦しみを見過ごすことをしないように、親が子へ、子が孫へと伝えたことが小樽ッ子の「人なつっこいやさしさ」といわれる隣人愛になったと思うのです。こんなことを考えますと、浜で働いた仲仕たちの「心意気」が今なお、小樽ッ子の魂に生き続けているのです。(おしまい)

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 郷土資料集 ③ 仲仕の話より