朝里神社 上
2015年02月16日
○にしん漁を守った稲荷社
朝里小学校の隣で、住宅に囲まれるようにして朝里神社が建っています。境内は大木に囲まれているわけでもなく、土知若と云うと殺風景な印象を受けます。しかし、毎年9月5日の例大祭には、たくさんの出店でとても賑やかです。
現在の朝里神社には、朝里新光地区にあった3つの神社が合祀されています。朝里村の村社は、1834年(天保5年)漁師の人達が海の見える場所に安置した稲荷社でした。
豊漁と海上安全祈願のため、昔の小樽の海岸沿いには保食神(うけもちのかみ)を祀る稲荷社が多く建っていました。それは、それだけ漁業が盛んで多くの漁場があったという証でもあるわけです。
○1917年現在地に移転
ここ朝里の稲荷社も、朝里の浜を中心とした漁場の人達を見守ってきました。場所は故町田外也先生頌徳碑の所です。海沿いにあるちどり公園の横には、広島の厳島神社のような鳥居があり、崖斜面を登ってお祀りするようになっていたそうです。村社になったのは1876年(明治8年)、現在地に移転してきたのは1917年(大正6年)の事です。
○現在地には天満宮がありました
移転先である現在地はなんであったかというと、ここは山の上天満宮があったのです。この天満宮がいつ頃建てられたのか、調べてみましたが分かりません。明治30年前後の事だと思います。建立したのは、朝里山の上(現在の新光地区および朝里2丁目、同3丁目)の農業開拓の祖である青山三蔵という人です。朝里の農業発展を語る時には忘れてはならない人で、用水路を掘り水を引き、朝里で初めて水田を作ったのもこの人です。
神社を建てる事になった時、彼は能登から移住して最初に入植した奥沢の天満宮より御分霊を請けて、現在地に祠を建て安置。それ以後、農家の人達の神社となりました。建立当時は荒地の草原であったといいます。
1915年(大正4年)9月道庁へ合祀と共に名称変更願いを提出。同年10月15日、道庁指令6978号によって正式に許可されました。なぜ、この時期に合祀願いを提出したのか定かではありません。また、いつの頃かわかりませんが、現在の新光5丁目35番地にあった住吉神社の分霊社である住吉社も合祀されています。
朝里の富士山発見
大時化の海
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